先日行った国立新美術館での「
巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」と対になるサントリー美術館のピカソ展にようやく行けた。こちらは自画像を中心とした全58点で、点数が少ないために1時間ちょっとで見られた。人も日曜日の3時過ぎに行ったわりには混んでおらず、じっくり堪能できた。
左「自画像」(1901年)、右「男の肖像」(1902-03年)
まずは青の時代から数点あり、陰鬱なこの青はかなり好き。
国立新美術館の方で見られる「ラ・セレスティーナ」は背景が丁寧に塗られていてものすごく好みなのだけど、この2点は若干粗いのが玉に瑕。「男の肖像」は下の部分が大きく剥離していて残念。
「自画像」(1917-19年)
簡単なデッサンなのだけど、ピカソを特徴づける瞳がとても生き生きしている。簡単な線のように見えて、試行錯誤の賜物なのだろう。
「ピエロの扮した若者の肖像」(1922年)
これはすごい。10センチ四方のホントに小さな水彩画なのだけど、めちゃくちゃ緻密。肌や髪の毛の色合いの細やかさ、スッと伸びた睫毛。一見誰にでも描けるような奔放な絵を描くピカソだけど、こういった正確なデッサン力に裏打ちされた技術があるからやれるのだということがよく分かる。
「海辺を走る二人の女(駆けっこ)」(1922年)
"ピカソ独自の古典主義"作品。単純にポーズが面白い。
「ピエロに扮するパウロ」(1925年)
パウロは正妻オルガとの間に生まれた息子。この画像では分かりにくいけれど、深緑と赤と白で三分割された鮮やかな背景に白い衣装を着たパウロが立つという目立つ作品。顔もかわいらしい。
「アクロバット」(1930年)
これはもう何ていうか、非常にキャッチー。お父さんに肩車された子供が楽しげに"おもしろ~い"といってて、私も大きく頷いた。
左から「人物と横顔」(1928年)、「パレットを手に画架に向かう画家」(1928年)、「彫刻家」(1931年)
「人物と横顔」の左の横顔はピカソ自身であり、中央の歯をむき出しにした妖怪は鏡に映ったもうひとつのピカソの顔らしい。この前年に新たなミューズ・マリー=テレーズと出会い、正妻オルガとの関係がぎくしゃくし始めた頃の作品。「彫刻家」の輪郭線に沿った点描がユニーク。それと左側の好色そうなピカソの顔も。
左:「ドラとミノタウロス(コンポジション)」(1936年)、右:「牧神と馬と鳥」(191936年)
ピカソが自身をミノタウロスに投影させた一連の作品が比較的揃っていて楽しめた。まあ画家としての迫力を楽しめたのはこのコーナーぐらいだったのだけど。
「ドラとミノタウロス」は色鉛筆で鮮やかに描かれていた。「牧神と馬と鳥」の馬の頭部や足の表現が日本の浮世絵チックで面白い。
左:「ヴェールをかざす娘に対して、洞窟の前のミノタウロスと死んだ牝馬」(1936年)、右:「傷ついたミノタウロス、馬と人物」(1936年)
「ヴェールを~」は1936年5月6日の作品。正妻オルガとはまだ離婚が成立せず、前年には愛人マリー=テレーズが娘を出産し、しかも1936年初頭には次の愛人ドラ・マール(上の画像の女)と出会うという大変な時期の作品。ピカソはもちろん牛頭人身のミノタウロスで、死んだ牝馬はマリー=テレーズ、左の洞窟から哀願するように手を伸ばすのはオルガ、ピカソが手を挙げている相手のヴェールの娘がドラといわれているらしい。泥沼だね。
一方の「傷ついたミノタウロス~」は「ヴェールを~」の4日後に描かれたもので、ミノタウロスには槍が刺さり、馬に踏みつけられている。右端で覗き込むようにしている女はそうなるとオルガで、奥の男はパウロになるのか。ピカソは"自伝を書くように絵を描く"といったらしいが、これでは隠し事なんて少しもできないね。
「コリーダ:闘牛士の死」(1933年)
この展覧会で一番気に入った作品。黒い牡牛に激突されて死んだ闘牛士が描かれている。馬の首のひねり具合がとんでもない躍動感を生み、牛の頭部は絵の具が厚くもられ迫力を増し、同時に赤いマントは血をも表現され、ぬるぬるとした印象だ。惜しむらくは右下の動物たちの足が手を抜いたように軽く描かれていることか。左側を強調するための強弱なのかもしれないが、リアルな毛並みを持った力強い脚部を見たかった。
「顎鬚のある男の頭部」(1938年)
これは油絵だが、一緒にブロンズによる胸像もあった。
「猫」(1943年)
うんち中の猫、だよね、このポーズは。あまりじろじろ見ると気を悪くするのでこの格好をしたときは目をそらすのが猫好きのマナーってものだろう。ブロンズ像。
「戦争」(1951年)
国立新美術館に来ている「朝鮮の虐殺」と同時期の作品。
ちなみにこっちは「やわらか戦車」。
「接吻」(1969年)
88歳になってもなお愛欲を濃厚に描き続ける。黒く太く縁取られた輪郭に、絵の具が厚くもられた肌。絵全体からピカソの欲望が伝わってくるよう。
「座る少女」(1970年)
「戦中から戦後、そして晩年」と題された最後のコーナーに入ると途端に絵から強烈で艶やかな色彩が消え失せてしまう。そのなかでもこの絵は昔の明るい色が使われていて良かった。
「若い画家」(1972年)
最晩年の1972年4月14日に描かれた作品。題名には"若い"とあるが、力のない筆はかすれ、老いが表れているよう。それまでにあった躍動感に満ちた瞳も失われ、ただぼってりと色が置かれたふたつの眼は虚ろだ。
企画そのものは楽しめたけれど、環境が楽しめなかった。サントリー美術館は最悪だ。額縁にガラスが入っているのは100歩下がって譲るとしても、絵を陳列棚に入れさらにガラスで保護するのはやり過ぎだろう。反射して見にくいことこの上ない。
それと展覧会に行くたびに思うのはどうして列を作って見ているのだろうということ。ベルトコンベアーに乗せられたかのように絵の前をしずしずと進んで面白いのか。だいぶ前から次の絵を斜めに見ていて、いざ作品の正面に来たときには飽きてしまったのか、横を向いて次の絵を追っている。不思議でならない。海外の美術館に行ったことがないので、世界共通なことなのかは分からないが、日本だけのように思う。でもまあ、おかげでこっちはじっくり見られるからありがたいといえばありがたいのだけど。
フェルメールも行きたかったけれど、来週は最後の週末なわけですごい人混みになりそう。無理だね。