すばらしくてNICE CHOICE

暇な時に、
本・音楽・漫画・映画の
勝手な感想を書いていきます。
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2021.02.10 Wednesday | - | - | -
荒木経惟「センチメンタルな旅 春の旅」

つい先日Twitterで、アラーキーの愛猫チロの死を知った。しかも、チロの最期の数ヶ月を撮った写真展が今月18日まで開かれているという。慌てて南青山の「RAT HOLE GALLERY」に向かった。アラーキー自身もギャラリーで取材があったようで、ちょうど入口のところですれ違った。体調が思わしくないと聞いていたが、思ったよりも元気そうな様子で歩いていた。

アラーキー作品にはもう馴染みともいえる存在だし、最初知ったときは自分のネコでもないのに悲しみに襲われてしまった。ギャラリーでもらったチラシによれば、3月2日に22歳で他界。人間の歳に直せば105歳だという。20年前に亡くなったアラーキーの奥さん、ヨーコさんが生後4ヶ月でもらってきたのが始まりで、それから22年間アラーキーの家族となり被写体となり共に暮らしてきた大切な存在だった。

アラーキーの写真は彼の眼差しがそのまま印画紙に焼き付けられたものだ。それを見た人間はアラーキーの気持ちに感情移入してしまう。映画でいえば、『マルコヴィッチの穴』みたいなものか。写真表現は多かれ少なかれ、そういうものだとは思うけれど、アラーキーのそれは特にその力が強い。だから、写真を通してしか知らないはずのチロの死に強い悲しみを抱いてしまうのだ。

80点のモノクロ写真が部屋の3面に並ぶ。入口近くの写真では高齢ということもありチロはすでに毛並みにツヤが失われている。それでも台に飛び乗る瞬間の写真もあり、元気な様子が見られる。が、段々弱っていく。最期は毛布にくるまり、弱々しくレンズを見つめる。1枚、言葉は悪いけれど、アラーキーをうるんだ瞳で見つめる写真がとても良かった。その数枚後にはもう目をつぶっている。花に囲まれるチロ。首輪にアラーキーのキャラクターストラップを付けたチロ。硬直しているチロ。骨となるチロ。頭蓋骨。

写真家とは因果な表現者だなと思う。どんな現実でも心動かされれば切り取らずにはいられない。対象は生だけではなく、当然死もあり、悲しみと共にシャッターを切る。そうすることで心の落としどころがあるのかもしれないが、それは音楽家や画家とは違う、あまりに直接的すぎる表し方だ。アラーキーが近しい人を亡くしたときに写した作品を以前にも見たことがあるので、こうする人だとは分かってはいても、自分の愛猫が焼かれ、実験室の標本のごとく骨となった姿を写した作品を見てあらためて思った。

もうひとつの部屋では昨年11月頃からの写真がスライドで流されていた。数枚のチロの写真の後に、仕事で撮ったのだろう、女性のヌード写真が挟まれ、またチロの写真になり、続いてどこかのバーの光景が映し出される。一方は痩せ細り、もう一方では生々しい生がある。3月2日が過ぎ、お骨となり、その後しばらくの間アラーキーは空の写真を撮り続ける。実際は違うのかもしれないが、悲しみとそれを癒す物語があった。
2010.07.11 Sunday 23:59 | アート | comments(0) | trackbacks(0)
巨匠ピカソ 魂のポートレート
先日行った国立新美術館での「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」と対になるサントリー美術館のピカソ展にようやく行けた。こちらは自画像を中心とした全58点で、点数が少ないために1時間ちょっとで見られた。人も日曜日の3時過ぎに行ったわりには混んでおらず、じっくり堪能できた。


左「自画像」(1901年)、右「男の肖像」(1902-03年)
まずは青の時代から数点あり、陰鬱なこの青はかなり好き。国立新美術館の方で見られる「ラ・セレスティーナ」は背景が丁寧に塗られていてものすごく好みなのだけど、この2点は若干粗いのが玉に瑕。「男の肖像」は下の部分が大きく剥離していて残念。


「自画像」(1917-19年)
簡単なデッサンなのだけど、ピカソを特徴づける瞳がとても生き生きしている。簡単な線のように見えて、試行錯誤の賜物なのだろう。





              「ピエロの扮した若者の肖像」(1922年)
これはすごい。10センチ四方のホントに小さな水彩画なのだけど、めちゃくちゃ緻密。肌や髪の毛の色合いの細やかさ、スッと伸びた睫毛。一見誰にでも描けるような奔放な絵を描くピカソだけど、こういった正確なデッサン力に裏打ちされた技術があるからやれるのだということがよく分かる。



「海辺を走る二人の女(駆けっこ)」(1922年)

"ピカソ独自の古典主義"作品。単純にポーズが面白い。


「ピエロに扮するパウロ」(1925年)
パウロは正妻オルガとの間に生まれた息子。この画像では分かりにくいけれど、深緑と赤と白で三分割された鮮やかな背景に白い衣装を着たパウロが立つという目立つ作品。顔もかわいらしい。





「アクロバット」(1930年)
これはもう何ていうか、非常にキャッチー。お父さんに肩車された子供が楽しげに"おもしろ~い"といってて、私も大きく頷いた。



左から「人物と横顔」(1928年)、「パレットを手に画架に向かう画家」(1928年)、「彫刻家」(1931年)
「人物と横顔」の左の横顔はピカソ自身であり、中央の歯をむき出しにした妖怪は鏡に映ったもうひとつのピカソの顔らしい。この前年に新たなミューズ・マリー=テレーズと出会い、正妻オルガとの関係がぎくしゃくし始めた頃の作品。「彫刻家」の輪郭線に沿った点描がユニーク。それと左側の好色そうなピカソの顔も。



左:「ドラとミノタウロス(コンポジション)」(1936年)、右:「牧神と馬と鳥」(191936年)
ピカソが自身をミノタウロスに投影させた一連の作品が比較的揃っていて楽しめた。まあ画家としての迫力を楽しめたのはこのコーナーぐらいだったのだけど。
「ドラとミノタウロス」は色鉛筆で鮮やかに描かれていた。「牧神と馬と鳥」の馬の頭部や足の表現が日本の浮世絵チックで面白い。



左:「ヴェールをかざす娘に対して、洞窟の前のミノタウロスと死んだ牝馬」(1936年)、右:「傷ついたミノタウロス、馬と人物」(1936年)
「ヴェールを~」は1936年5月6日の作品。正妻オルガとはまだ離婚が成立せず、前年には愛人マリー=テレーズが娘を出産し、しかも1936年初頭には次の愛人ドラ・マール(上の画像の女)と出会うという大変な時期の作品。ピカソはもちろん牛頭人身のミノタウロスで、死んだ牝馬はマリー=テレーズ、左の洞窟から哀願するように手を伸ばすのはオルガ、ピカソが手を挙げている相手のヴェールの娘がドラといわれているらしい。泥沼だね。

一方の「傷ついたミノタウロス~」は「ヴェールを~」の4日後に描かれたもので、ミノタウロスには槍が刺さり、馬に踏みつけられている。右端で覗き込むようにしている女はそうなるとオルガで、奥の男はパウロになるのか。ピカソは"自伝を書くように絵を描く"といったらしいが、これでは隠し事なんて少しもできないね。



「コリーダ:闘牛士の死」(1933年)
この展覧会で一番気に入った作品。黒い牡牛に激突されて死んだ闘牛士が描かれている。馬の首のひねり具合がとんでもない躍動感を生み、牛の頭部は絵の具が厚くもられ迫力を増し、同時に赤いマントは血をも表現され、ぬるぬるとした印象だ。惜しむらくは右下の動物たちの足が手を抜いたように軽く描かれていることか。左側を強調するための強弱なのかもしれないが、リアルな毛並みを持った力強い脚部を見たかった。


「顎鬚のある男の頭部」(1938年)
これは油絵だが、一緒にブロンズによる胸像もあった。


     「猫」(1943年)
うんち中の猫、だよね、このポーズは。あまりじろじろ見ると気を悪くするのでこの格好をしたときは目をそらすのが猫好きのマナーってものだろう。ブロンズ像。



「戦争」(1951年)
国立新美術館に来ている「朝鮮の虐殺」と同時期の作品。




         ちなみにこっちは「やわらか戦車」。



「接吻」(1969年)
88歳になってもなお愛欲を濃厚に描き続ける。黒く太く縁取られた輪郭に、絵の具が厚くもられた肌。絵全体からピカソの欲望が伝わってくるよう。


「座る少女」(1970年)
「戦中から戦後、そして晩年」と題された最後のコーナーに入ると途端に絵から強烈で艶やかな色彩が消え失せてしまう。そのなかでもこの絵は昔の明るい色が使われていて良かった。





    「若い画家」(1972年)
最晩年の1972年4月14日に描かれた作品。題名には"若い"とあるが、力のない筆はかすれ、老いが表れているよう。それまでにあった躍動感に満ちた瞳も失われ、ただぼってりと色が置かれたふたつの眼は虚ろだ。



企画そのものは楽しめたけれど、環境が楽しめなかった。サントリー美術館は最悪だ。額縁にガラスが入っているのは100歩下がって譲るとしても、絵を陳列棚に入れさらにガラスで保護するのはやり過ぎだろう。反射して見にくいことこの上ない。

それと展覧会に行くたびに思うのはどうして列を作って見ているのだろうということ。ベルトコンベアーに乗せられたかのように絵の前をしずしずと進んで面白いのか。だいぶ前から次の絵を斜めに見ていて、いざ作品の正面に来たときには飽きてしまったのか、横を向いて次の絵を追っている。不思議でならない。海外の美術館に行ったことがないので、世界共通なことなのかは分からないが、日本だけのように思う。でもまあ、おかげでこっちはじっくり見られるからありがたいといえばありがたいのだけど。

フェルメールも行きたかったけれど、来週は最後の週末なわけですごい人混みになりそう。無理だね。
2008.12.07 Sunday 23:59 | アート | comments(0) | trackbacks(1)
巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡
国立新美術館で行われているピカソ展に行ってきた。サントリー館でも同時期にピカソの自画像をテーマに開かれているのだが、どちらもパリの国立ピカソ美術館所蔵のもので、それぞれ国立美術館が167点、サントリー館で約60点を公開している。帰宅してから家にあるピカソ展のカタログを見てたら、9年前の1999年に上野の森美術館で開催された「ピカソ展」も国立ピカソ美術館の所蔵品からで、結構かぶっていることになる。ただあの時は全86点と少なかったので、今回は挿絵等もあるけれど、2館合わせれば220点以上。まさに大回顧展。

「ラ・セレスティーナ」(1904年)
1901年秋から始まる「青の時代」の作品。オノヨーコにも似ているけれど、モデルはバルセロナで売春宿を経営する女。丁寧に塗られた様々なマットな青がとてもきれいで、かなり好き。ただ本展では青の時代の絵がこれだけしかなかったのは残念。
残念といえば、本展での一番古い時代の作品がこれというのも回顧展を名乗るにはちょっと肩すかし。ピカソが天才ぶりを発揮する少年期の絵も見たかった。昔上野でやったMOMA展だったかで見た幼い頃の作品の、大人顔負けの正確なデッサンに圧倒された覚えがある。


「ギターとバスの瓶」(1913年)
キュビスム期の立体もの。彩色された木片を使って作られている。何が描かれているのかタイトルからどうにかこうにか読み取るしかない世界に突入した時代だったけれど、平面が立体になるとああなるほどこんな描かれ方をしているのかと少し納得できるので面白かった。


左が「座る女」(1920年)
右が「手紙を読む」(1921年)
ピカソがシュールレアリスムに向かう直前に見せた"ピカソ独自の古典主義"作品。右の作品の絵全てを覆う重苦しさや、大胆にデフォルメされた腕などがすばらしい。しっかり塗り込まれた背景、服の皺などもいい。
下は「泉」(1921年)


「接吻」(1925年)
シュールレアリスム期に入った作品。なんとも奇妙。でもピカソらしい。順番に見ていくとここから絵がカラフルになり、また読み解く楽しさ(とはいえ、顔がこれで、胸はあれだよね、でもってこっちのこれがブーツかみたいなレベルだけど)もある。

敢えて下品なものいいをすれば、上の口と下の口がなんとも・・・。



「画家とモデル」(1926年)
これ以降も繰り返し現れるモチーフとのこと。右側に画家がいて、左側に小さくモデルがいる。うねうねとなっている曲線がなんとも美しい。

左から「白い背景の裸婦」(1927年)、「肘掛け椅子の女」(1927年)、「大きな水浴の女」(1929年)。真ん中は残念ながら「おやすみプンプン」ではなかったし、右も猫の絵ではなかった。猫といえば1枚だけ鳥を捕らえている作品があったけれど、残念ながらこの右端のようなかわいらしい猫ではなかった。


「海辺の人物たち」(1931年)
妻オルガとの結婚生活が破綻の様相を呈し始め、1927年に17歳のマリー=テレーズと出会う(ちなみに、この時ピカソは46歳。全てはアートのため。何もいうまい)。やがて"あふれんばかりの女性性、そして官能性が、ピカソの芸術を支配するようになる"。年と共に性への抑制が取り払われたのか、どんどんむき出しになっていくのがいい。


左から「読書」(1932年)、「赤い肘掛け椅子の女」(1932年)、「赤い肘掛け椅子に座る女」(1932年)。


左が「窓の前に座る女」(1937年)で、モデルは1935年に娘マヤを生んだマリー=テレーズ。中と右は「ドラ・マールの肖像」(1937年)、「泣く女」(1937年)。共にモデルは1936年にピカソと出会い、新たなミューズとなるドラ・マール。ふたりの女性を同時に愛し始めるピカソだが、絵を見る限り、ドラ・マールは気性が激しそうで怖い。特に「ドラ・マールの肖像」の赤い爪がなんとも獰猛そうだ。

「雌ヤギ」(1950年) ブロンズ像
後ろから見るとパックリ割れた性器が豊饒を象徴しているよう。

海外の美術館だと彫刻に関しては触らせてくれるとどこかで読んだことがあるけれど、ピカソ作品も同様なのかしら。こういう作品を見ると頭を撫でたくなる。東京駅のイノシシのように。


「朝鮮の虐殺」(1951年)
ゴヤを援用した反戦画。"戦争を直接的に表現されている点で、ピカソとしては例外的な作品"。確かにこの絵は異彩を放っていた。


左は「デッサンするクロード、フランソワーズ、パロマ」(1954年)

右が「膝をかかえるジャクリーヌ」(1954年)
1943年にフランソワーズ・ジローと出会ったピカソはやがて生活を共にし始める。1947年には息子クロードが生まれ、その2年後にはパロマが誕生する。ピカソも家族の絵を多く描くようになるが、この左の作品当時はすでにフランソワーズはふたりの子供と一緒にピカソの元を去っていた。

ピカソの最後の伴侶となったのがジャクリーヌ・ロックで、1954年頃から絵に登場し始める。


「風景」
1973年4月8日に91歳で幕を閉じるピカソがその最晩年1972年3月31日に、終焉の地ムージャンで描いた作品。最初見たときは、筆の流れも雑でさすがのピカソも90歳ともなると惰性で描くような絵を生み出すのかと思ったのだけど、なぜか惹きつけられて、じっくり見るとこれが迫力のある切り口でいいのだ。下から見上げるような視点が不安定さと同時に絵に勢いを与え、真っ直ぐに伸びた樹木とその椰子のような葉がそれを補完する。とても良かった。


会期も後半に入った日曜日の3時に入館したので、結構混んでいるのかなと思いきや、天候も不安定だったためかそれほどでもなかった。1点ずつじっくり見て2時間ちょい。途中で休憩を挟み、見終えたのが6時前。2度見するときには入館が5時半までということもあり、初めのエリアはもう閑散としていたので気に入った作品をゆっくり鑑賞できた。
2008.11.16 Sunday 23:59 | アート | comments(2) | trackbacks(0)
石塚元太良写真展 TOKYO 10

EPSON Imaging Gallery エプサイトで行われている、
石塚元太良の写真展「TOKYO 10」に行く。

偶然見かけた雑誌で、この写真展が紹介されていた。
夜道を低アングルで撮影した写真が目茶苦茶琴線に触れたのだ。

実際に見ても期待通りで素敵だったが、他のがいまいちかな。
あの夜道の写真をもっと見たかった。
2007.10.06 Saturday 23:59 | アート | comments(0) | trackbacks(0)
スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡

日曜日の朝10時に行ったのに、すでに並んでいた。
若い頃からの作品が並んでいるので、だんだん絵柄が変になっていく過程が見られて面白い。
確かな技術、才能があるからこそ、変態な方向性に走っても素晴らしいのだと実感。
版画とは違うけれど、バッハの曲を"彼独自"の方法論で図式化したノートも展示されていて、
見てもよく分からないけれど、ただ彼が変人だということは分かる。
変人は最高だ。

家にあった美術書で小さい頃から親しんでいた「昼と夜」「空と水機廖崟院廖嵒舛手」
「階段の家」「相対性」「物見の塔」「滝」が見られて、満足。

しかし、「でんぐり」が出ねぇ。
悔しい。
「深み」。この魚は4つも出やがった。


「地下聖堂での行列」。3人。列が作れちゃった。

展覧会を出たところに、ガチャガチャがあって、果敢に挑戦したけれど、
「深み」×4
「地下聖堂の行列」×3
「球面鏡のある静物」×2
「ドラゴン」×2
「滝(部分)習作」×1
あと「でんぐりでんぐり」だけなのに。
2006.12.17 Sunday 23:54 | アート | comments(0) | trackbacks(0)
歌舞伎

初歌舞伎。

率直な感想は、面白い劇はどの時代の劇も面白く残っていくだろうし、
その時代を知らなければ面白くないような劇は残らないだろうという
至極まっとうなものでした。

2月大歌舞伎昼の部を見た。

「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 陣門・組打」は面白かった。
平敦盛が実は後白河上皇(だったかな?)のご落胤で、熊谷直実が実子小次郎と
入れ替わらせ、最後に熊谷直実が息子を討つことになってしまう、
というミステリー仕立てになっているあたりは今でも充分通用する話だ。
これは良かった。
また、平山武者所といういやなキャラクターも出てきて、
話をふくらますあたりも面白い。

「幡随長兵衛」。これも劇中劇があったりして、コミカルでいい。
子役を使うあたりは少し興ざめだが、多分歌舞伎ファンには受けるのだろう。
門外漢には、ただのへたくそな子役としか思えないのだが。

「春調娘七種」と3幕のはつらかった。
とくに3幕は寝に入っていたし。

役者の演技については、比較できないから善し悪しは分からない。
玉三郎の女形の美しさについてしばしば聞いていたので期待していたが、
あまりそうは思わなかった。
あのしゃべりを聞いて、おばあちゃん役をやる志村けんを
思い出したのは、ひとえに育ちの悪さのせいでしょう。

面白い演目があれば、安い席で行くのもありだとも思った。
ただ同じ古典芸能なら落語の方が、比べるのもなんだが、気楽でいい。




2006.02.19 Sunday 21:39 | アート | comments(1) | trackbacks(0)
スヌーピーライフデザイン展

「ピーナッツ」誕生55周年を記念して、
東京国際フォーラムで開かれている
「スヌーピーライフデザイン展」に行ってきた。

様々なデザインを施されたピーナッツのキャラクター作品が
展示されている。

個人名義の作品には、面白いものが何点かあったが、
企業とのコラボレートは全くだめだった。
チョコレートでできたスヌーピーの小屋なんてどうでもいいし、
4℃のキャラクターのネックレスなど、ホントどうでもいい。
だから、ライフ・デザインと題された後半のエリアは全く駄目。

興味深かったのは、
倉科昌高の作品。
上の画像。
タイトルは「食」だったかな。
白いところはスヌーピーの外皮で、
赤いところには、骨格だったり、内蔵だったり、脳だったりが、
見えるという趣向だ。
自由にスヌーピーで遊んでいて、見ている側も楽しめた。

宇都木えりの作品もかわいくてよかった。
スヌーピーやライナス、チャーリー・ブラウン、ルーシーが
パンダやヒョウ、キリン等々の着ぐるみをかぶっているのだ。

チーム☆ラボというグループ(?)のCG映像作品は秀逸だった。
横長のスクリーンいっぱいに使って、
鳥獣戯画の世界にスヌーピーが入り込み、
最後は鶴の背に乗り、蓮の咲く池に行く。
そして、一斉に蓮の花が咲き出すという、
確か「涅槃」というタイトルがついていたと思う。
力作だった。

強く思ったのが、
あまり見所がないのに、1300円はちょっと高い。
企業があれだけ入っているのなら、もっと安くなったように思うが。
そういうものでもないのかな。
2005.11.27 Sunday 22:17 | アート | comments(0) | trackbacks(0)
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