すばらしくてNICE CHOICE

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イディオッツ / The Idiots

45点/100点満点中

1996年『奇跡の海』でカンヌ国際映画祭審査員特別賞を、2000年には『ダンサー・イン・ザ・ダーク』で同映画祭の最高賞パルムドールを受賞したデンマーク人監督ラース・フォン・トリアーがその間の1998年に制作した作品。『奇跡の海』、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と合わせて、過酷な状況の中でも純粋な心を保ち続ける女性を主人公にする"黄金の心三部作"だという。

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カレンは立ち寄ったレストランで奇妙な一団に出会う。口からよだれを垂らし、わけのわからない事を叫ぶ人々。レストランから追い出されそうになる彼らをかばうカレンだが、これはすべて知的障碍者をまねたデモンストレーションだった・・・。
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ほんの一部の作品しか見ていないのに断言するのもはばかられるが、ラース・フォン・トリアーは偉大な監督のひとりだ。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見終えた時に突き落とされた穴の深みは10年以上経った今でもよく覚えている。『ドッグヴィル』は正直よく理解できなかったが、見る価値はあった。昨年公開された『アンチクライスト』の衝撃たるやそれはもうすごいものだった。来月公開の新作『メランコリア』も予告編を見る限り幻想的であり、また見たこともない地平に連れて行ってくれるものと期待している。

偉大であると同時にひどく挑発的な監督でもある。挑発的だからこそ偉大ともいえるが、先の『アンチクライスト』では先行上映したカンヌでの記者会見冒頭で、"この映画を作った自己弁護と釈明をしてください"と詰問されている。新作を引っさげた2011年のカンヌでも"アドルフ・ヒトラーに理解を示す発言"をしたことで、映画祭からの追放処分を受けている。

笑えるエピソードもあれば、眉をひそめる発言もある。ヒトラーについては『メランコリア』と前後の発言を調べてから判断したいところだが、それでもまあ本作を見る限り監督の本質は観客がそれまで後生大事に守り育ててきた価値観を揺さぶるところにあるのだと思う。

映画でも小説でも、あるいは音楽でもいいのだけど共感をひとつの価値基準に評価する人がいる。私にはそれがよく分からなくて、まあ普段から見ているものが道徳的なドラマや恋愛ものではなく、人を殺したり殺されたりする作品が多いということもあり、登場人物に共感を抱くかどうかはとても些末的なことに思えるのだ。ただ、小さい頃に教え込まれた倫理観を揺るがす表現だったり物語には嫌悪にも近い感情を持たざるを得ない。もちろん人殺し映画好きがどうこういう程度の倫理観ではあるのだけど、本作は私のなけなしの良識を鋭く突いてくる。

主人公の中年女性カレンは少し高級なレストランでランチをしていたところ、知的障碍者の一団と遭遇する。たまには外食でもしようというのか若い女性を引率者に彼らも食事をしている。やがて飽き始めたのか大声を出し他のテーブルにも手を伸ばそうとする。他の客に迷惑がかかるということで店側は彼らを追い出す。気になるカレンもまた一緒に出ることになるが、タクシーに乗り込んだ彼らは実はレストランでの行いは振りだと彼女に明かす。

男女数名から成り立つその集団は知的障碍者である振りをして一軒家で暮らす。カレンも加わったその生活が描写されるのと並行して、何が行われていたのか後に検証するという体裁のインタビューが差し挟まれる。またトリアー監督が中心となって進められた映画運動"ドグマ95"のルールに従って作られているので、自然光の下、揺れる手持ちカメラで撮影され、時にカメラマンまで映り込んだりしている実験的な作品でもある。

そのドグマ95という撮影法についてはともかくとして、描かれている知的障碍者の振りに付いていけない。リーダー格のストファーは"愚者(イディオッツ)を演じることを正当化できない"としながらも、専用の駐車スペースに停め、クリスマスの飾りつけを訪問販売し一般市民を騙し、健常者の欺瞞を糾弾する。その一方で本当の障碍者が現れた時に彼は戸惑いを露わにする。

映画という虚構の中の表現であると分かっていても、最低限これだけはしてはいけないという自分の中の良識と真っ向から激突し、激しい忌避感がこみあげてくる。共感などという価値基準は持たないが、もっと深いところにある感情が揺さぶられる。これを描く意味がどこにあるのだろうかと。なりたくてなったわけではない彼らを敢えて真似する意味は何なのかと。やがて彼らは、そもそも崇高な理念などあったわけではないが、親の強靭な愛情を前に詭弁を通すことができず、やがて内部崩壊していく。

このまま117分と長く、何度眠りかけたか分からない映画も終わるのだなと思いかけた最後の最後で、カレンがその集団に加わった理由が明かされ、"内なる愚者"にすがろうとする。絶望感から来るある種の逃避は彼女が彼女であり続けるために必要な行いであり、"あれはゲームだった"と語る彼らとはその切実さは大きく異なる。そしてラストシーンではオープニングでスザンヌがストファーたちをレストランから連れ出したのと同じように、カレンをスザンヌが外に導く。相似ではあるが、抱えているものの深さに思い馳せた時に、当初の嫌悪感とは違う感情で振りをするカレンを見ることになる。

だからといって映画の中のカレンたちや制作したトリアー監督の行いが正当化されるのかといえば、やはり疑問ではあるが、それでも強固に根付いている感情を一瞬で不安にさせた監督の手腕はすごいと思わざるを得ない。



<ドグマ95についてウィキペディアを参考に>
1995年、ラース・フォン・トリアーらによって始められたデンマークの映画運動。"純潔の誓い"と呼ばれる10個の重要なルールに従い、制作される。

1.撮影はすべてロケーション撮影によること。スタジオのセット撮影を禁じる。
2.映像と関係のないところで作られた音(効果音など)をのせてはならない。
3.カメラは必ず手持ちによること。
4.映画はカラーであること。照明効果は禁止。
5.光学合成やフィルターを禁止する。
6.表面的なアクションは許されない(殺人、武器の使用などは起きてはならない)。
7.時間的、地理的な乖離は許されない(つまり今、ここで起こっていることしか描いてはいけない。
  回想シーンなどの禁止である)。
8.ジャンル映画を禁止する。
9.最終的なフォーマットは35mmフィルムであること。
10.監督の名前はスタッフロールなどにクレジットしてはいけない。

"純潔の誓い"全部を守られなければドグマ映画として認定されないというわけではなく、ドグマ作品第2弾となった本作ではBGMが使われている。またトリアー自身がこの手法を取り入れた作品は『イディオッツ』のみ。この撮影法で制作された映画は2008年までに世界で270作を数えるという。
2012.01.14 Saturday 23:59 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0)
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2014.12.22 Monday 23:59 | - | - | -
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