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マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』『ハックルベリ・フィンの冒険』
マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険』
土屋京子 訳/光文社古典新訳文庫


名作と呼ばれる小説なのでさすがに小学校時分に読んではいるのだろうが、内容を覚えているはずはなかった。映画『それでも夜は明ける』を鑑賞して以来この時代の黒人奴隷制度を芸術作品はどう表現していたのかが知りたくなり、文学ではやはり『ハックルベリ・フィンの冒険』だろうと思ったわけだけど、でもシリーズでいえばその前作にあたる本作もこの際だから押さえておこうと手に取ったら、これがかなり面白い。記憶では翻訳文ということもあったのか、結構辛かった印象だけがあった。改めて読んでみると、新訳が功を奏しているのかもしれないが、少年の冒険譚にいまさながら胸を高鳴らせて読み進めることができたのだ。

著者のマーク・トウェインは1835年ミズーリ州のフロリダで生を受け、4歳の時にミシシッピ川に面した同州のハンニバルに引っ越し、そこで少年時代を過ごす。印刷工、兄の新聞の手伝いを経て、1857年22歳の時にミシシッピ川の水先案内人となる。ペンネームの"Mark Twain"は、"水深12フィート(約3メートル半)"を意味する。蒸気船がこの水深までは安全に航行できることを表す船舶用語"by the mark, twain"に由来するそうだ。1861年南北戦争が勃発し、彼は西部に移り、当時盛り上がっていたゴールドラッシュにも手を出すがうまくいかず、ジャーナリストに転身する。1867年に欧州旅行をし、その旅行記『旅人トウェインのアメリカ』がベストセラーとなり文筆業で成功する。本作を上梓するのは1876年、彼が41歳の時だ。

"序"に舞台は今から30〜40年前とある。所はミシシッピ川流域のミズーリ州セント・ピーターズバーグ。モデルはもちろんトウェインが育ったハンニバルで、登場する建物や島、洞窟は今も残っているそうだ。いたずら好きで目立ちたがり屋、腕白で集中力はないものの機転が利く我らがトム・ソーヤーは友達の、とはいっても町の腫れ物的存在でもあるハックルベリ・フィンらとごっこ遊びに興じ、家出を企て町中の人々にあの子らは死んだと悲しませ、殺しの現場を見たり、一丁前にガールフレンドがいたり、その子と洞窟の奥深くにさまよい迷ってしまったりと、とにかくハイテンションな悪ガキだ。

トムは黒人奴隷に対し自然な差別意識を持っている。それはこの時代に南部で生まれ育った白人として当然といえば当然なのだろう程度の極めて自然なものだ。それ以上に、あとがきでも指摘されているが、ネイティブアメリカンへの偏見が小説全体で色濃く、興味深い。

トムやハックルベリの行動を見ていると、とにかく迷信を信じていて面白い。でもそれは私だって子供の頃横断歩道の白い部分だけを歩くだとか、オリジナルのまじないを唱えたら赤信号がすぐに青に変わると信じていたことを思い出して、100年ちょっと経っても子供の精神構造なんてそう大きく変わるわけではないのだなと思ったりして愉快でもある。



マーク・トウェイン『トウェイン完訳コレクション ハックルベリ・フィンの冒険』
大久保博 訳/角川文庫


『トム・ソーヤーの冒険』の9年後となる1885年に発表された本書は、文豪アーネスト・ヘミングウェイによると、"あらゆる現代アメリカ文学はマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する"偉大な小説だそうだ。同時に当時生きていた南部の人間の感情や言葉遣いをそのまま使っているためNワードが222回も出てくることなどもあり、米国の教育の現場では今も扱いが分かれているそうだ

『トム・ソーヤーの冒険』の正統な続編となる。前作でトムとハックルベリは巨額の金貨を手にしたはいいが、ハックのロクデナシな父がそのことを知り、息子の金をせしめようと彼を軟禁してしまう。そこからの脱出を図るハックと逃亡奴隷ジムが共にミシシッピ川を筏で自由州イリノイを目指そうとする。黒人と白人の子供の組み合わせということで、夜の間しか移動できないが、やがてふたりのいかさま師と出会ったり、いがみ合う良家の抗争に巻き込まれたりと大変な旅が続く。

その中でハックは常に黒人ジムへの複雑な感情に囚われ、時に翻弄される。トムのようには明快に割り切れないハックのその素直さを通して、当時南部の人が本書をどのように思ったのかまでは知らないが、どれほどNワードが使われ、黒人への無慈悲な差別が描かれていようと、ここから読み取れるのはそうした感情や意識とは全く逆のものだ。

前作のような楽しく愉快な冒険譚ではなく、少年たちの話でありながら"文学"に行き着いてしまってはいるが、それだけにずっしりと読みごたえがある。クライマックスでのトムの登場は賛否あるらしいのもよく分かる。彼は出しゃばりだから仕方ないのだけど、ちょっと活躍し過ぎている。
2014.05.12 Monday 23:57 | | comments(0) | trackbacks(0)
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2019.10.16 Wednesday 23:57 | - | - | -
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