読了。
☆☆☆☆☆/5点中
第23回日本冒険小説協会大賞作品。
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神奈川県警の刑事・二村永爾は、殺人事件の重要参考人ビリー・ルウの失踪に関わった嫌疑で捜査一課から外されてしまう。一方、横須賀署の先輩刑事から国際的な女流ヴァイオリニストの養母である平岡玲子の捜索を私的に頼まれるのだが・・・。
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"「グッドモーニング、相棒(バディ)」
「朝にはまだ時間がある。第一、相棒と呼ばれる筋合いはない」
「陽を背にして音速で帰って来たんだ。バナナキャニオンじゃ、もうグッドモーニングだったぜ」
「どこから帰ったって?」
「海だよ」
「バナナキャニオンじゃないのか」
「着艦フックが出なけりゃ、海に落ちるのはあたりまえさ。甲板はアウトバーンじゃないんだからな」
「レッドバロンはぶどう畑へ降りるもんだぜ。干し草の山で、フランス娘を一撃反転(ヒット・エンド・ラン)するんだろう」
「君か、スヌーピー? 久し振りだね。ぼくだよ。レッドバロンだ」"
長々と引用したのは、横須賀はドブ板通りの裏路地で、ふたりの男が初めて出会う冒頭のシーンだ。撃墜王(フライング・エース)が仕事明けの二村永爾。憎き敵役レッドバロンが泥酔中のビリーだ。(しかし、このネタは有名なのかな。キャラクターとしてのスヌーピーしか知らない人には何のことかさっぱりだと思う)
もうこの導入部だけで、ワクワクしてくるし、傑作ハードボイルドの予感が濃厚に漂う。そして、それは最後まで少しも(文字通りほんの少しも)失速することなく、単行本で1段組591ページの力作は、チャンドラーの『長いお別れ(もちろん、村上春樹版は『ロング・グッドバイ』)』や原りょうの『さらば長き眠り』と並ぶ作品になった。すごい。
名ゼリフもてんこ盛り。ひとつひとつを書き抜きたくなる。
"ぼくは自分で自分に説明をつけたいだけさ"
事件の闇の中を手探りでもがきあがき明るい方へと這っていく、まさにハードボイルドな言葉だ。
"「ぼくが入ってくるとき、煙草の自動販売機を叩いてる奴がいたぞ」
「ピースが叩かないと出てこないんだよ」
「叩かないで出てくるpeaceなんかないよ」"
また、商品名や店名がそのまま登場するのもいい。NHKはちゃんと"NHK"と書かれているし、「毎朝新聞」と日和ったりすることもない。朝日は"朝日"だ。高級外車に乗った元ヤクザが吐くセリフも奮っている。"ステッカーを見たかね。ヤナセはヤクザには売らないんだ。堅気になった甲斐があったってものさ"
そして、山下公園の前に建つ老舗の「ホテルニューグランド」にも容赦のない罵声を浴びせる。"ここには昔、美味いマティニが飲める素晴らしいバーがあった。無能な役人とバカな不動産屋がそれを潰してしまったんだ"。「シーガーディアン」のことなのかな。二村はかなり憤っているらしく、何度となくその体たらくぶりを扱き下ろす。もちろん、作品の最後に「文中に出てくるなんたらは〜」という軟弱な但し書きは一切ない。まさにハードボイルド。
まあ、細かいことはいいのだけど、でもこういったディテールの妙、様々なところからの引用等々があり、その上で複雑に絡み合う事件があり、ああ小説を読んでいるんだという充足感、それと終わらないでくれという幸福感に包まれる。事件は複雑すぎて、メモでも取りながら読んだらもっと味わえたかもしれない。無数に張られた伏線も多分ひとつ残らず回収されていて、驚嘆しかない。お尻の銃創もひょいっと片付けていったし。
最後の最後まで餡が詰まっている作品で、エンディングの余韻がたまらない。ラストの1行なんてネタバレでもないから引用したぐらいだけど、まあ、そのあたりは自重しよう。
毎回毎回こんな作品だけを読んでいたい。
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矢作俊彦(やはぎ としひこ)
1950年、神奈川県横浜市生まれ。17歳の時ダディ・グースの筆名で漫画家デビュー。
1972年、短編小説「抱きしめたい」で小説家デビュー。
1970年代を通じ短編小説、漫画を手掛ける傍ら、ラジオ・TVドラマの構成作家としても活躍。
1983年、『暗闇にノーサイド』(司城志朗との共著)で第10回角川小説賞受賞。
1998年、『あ・じゃ・ぱん!』で第8回Bunkamuraドゥマゴ文学賞。
2004年、『ららら科學の子』で第17回三島由紀夫賞受賞。
『ロング・グッドバイ』で第23回日本冒険小説協会大賞受賞。
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