2010年3月17日リリースのサードアルバム。
/5点中
アルバムタイトルは1曲目の曲名にもあるように漢字で"汽空域"。海水と淡水が交わる水域を意味する"汽水域"から創られた造語であり、本来相容れないものが混ざり合う場所とのこと。
アルバム前半は押しの強いベースや強力なダウンビート、華麗な鍵盤の上音に思わず踊ってしまうというセカンドアルバム『
シンシロ』の延長線の音であり、いささか物足りない。それは本作では4曲目に収録され、先行シングルとなった「アルクアラウンド」を聴いたときにも感じたことであり、くるりとの比較からなのだろうが、アルバム毎での劇的な進化/深化を期待してしまうからだろう。
そんな勝手な失望感が少しずつ薄らいでいくのが、"クレーの絵を見て"と歌われるM5「Klee」から。パウル・クレーといえば、まず思い浮かべるのが『黄金の魚』(持っている画集がそうだからかもしれないけれど)なわけで、サカナ繋がり。それはともかく、この曲から、彼らが成功への道を歩み始めたことへのとまどいが歌詞に現れ始め、一方で
2枚目で顕著だったダンスビートの力を借りることなく、ロックの躍動感を手に入れた曲が増え始める。
インストのM6「21.1」を挟み、重しを曲に付け、さらに沈みゆくM7「アンダー」。水のこぽこぽとしたSEを経て、M8「シーラカンスと僕」に行き着く。"シーラカンス"という言葉が使われたり、"深海魚な僕"とあったりするからといって、Mr.Childrenの爆発的に売れた反動で生まれたロックな名盤『深海』を思い出すのはあまりに安直すぎるかもしれない。彼らにはアンニュイな物語を綴り、"どうか僕が僕のままあり続けられますように"と歌いながらも、疾走感のあるサビを作ってしまえる強さがある。
M9「明日から」は力強いダンスビートを取り入れ、ポップなメロディが踊る曲でシングルでも悪くなさそうだ。しかし、歌われているのはどこにも行けずに立ち止まっている姿だったりする。10曲目の「表参道26時」はアルバムの流れのなかではこの位置が正しいのかは分からないが、女性が歌うパートのメロディがとても心地良く、ホッと息をつける。
彼らなりのフォークともいえるM11「壁」ではアコースティックギターのアルペジオにやがてノイズギターが襲いかかる。そして、"僕が覚悟を決めたのは庭の花が咲く頃"と成功と向かい合うことを誓い、本編最後のM12「目が明く藍色」に向かっていく。約7分もの大曲となったこの曲には
1枚目のアルバムに収録された「ナイトフィッシングイズグッド」のごとく歌劇風味の味付けがあり楽しい。"制服はもう捨てた 僕は行く 行くんだ"と決意を静かに噛みしめるように歌われて終わる。
ボーカルの山口一郎の歌詞は今まで以上に心情が素直に漏れているようにも思うのだが、いささか抽象的なのは変わらずであり、曲の一部を恣意的に抜き取り、深読みしすぎている感は自分でも分かる。しかし、シングル『アルクアラウンド』がオリコンシングルチャートで初登場第3位に食い込む快挙を果たし、順調に伸ばしているキャリアへの喜びは当然あるだろうが、同時に数字を求められる重圧も感じざるを得ないだろうし、その辺りの心境が重量感のでてきた音からも感じられた。その重さのあるアレンジと共に、電子音を散りばめた安易なダンスビートがやや後退し、ギターやドラム、ベース(大活躍!)によるロックのダイナミズムを手に入れたことは喜ばしい。
売上を期待されるバンドには難しいのかもしれないが、本作をただ流し聴きしているときに楽しめたのが、M6とボーナストラック扱いの「Paradise of Sunny」という2曲のインストゥルメンタル曲だった。特にフルートが冴える後者は6分と長尺なこともあり、いにしえのプログレバンドのごとく音に物語性が宿り、すごく良かった。これまでも「マレーシア32」や「minnanouta」といったインスト曲はあったが、音の表現力が格段に上がった今の彼らならアルバム一枚まるまる言葉がない音楽でもすごく面白い作品ができそうだ。