すばらしくてNICE CHOICE

暇な時に、
本・音楽・漫画・映画の
勝手な感想を書いていきます。
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2021.02.10 Wednesday | - | - | -
コクリコ坂から

76点/100点満点中

今年のジブリ映画は、『ゲド戦記』以来の宮崎吾朗監督作。1980年に少女漫画誌「なかよし」に連載された同名漫画を原作に、宮崎駿と丹羽圭子が共同脚本。2011年公開作品。

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1963年の横浜。16歳の高校2年生・松崎海は、洋行中の大学教授の母に代わり、港の見える丘に建つ下宿屋"コクリコ荘"を切り盛りしている。毎朝、船乗りの父に教わった信号旗を揚げることを欠かさない。海が通う港南学園では、文化部の部室が集まった歴史ある建物"カルチェラタン"の取り壊しを巡り、学生たちによる反対運動が起こっていた。騒動に巻き込まれた海は、反対メンバーの風間俊と出会う。
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毎年この時期になるとジブリの新作が楽しみになるわけだけど、今年はあの『ゲド戦記』を手掛けた宮崎駿の長男・宮崎吾朗の監督作だと知り、早々に今回は完璧スルーだなと思ったものの、CMで流れてくる主題歌「さよならの夏 〜コクリコ坂から〜」に強く惹きつけられた。手嶌葵の透明感のある伸びやかな歌声はもの悲しさを伴い、彼女の歌を聴くだけでも見に行く価値があるのではないかと思わせるほどに魅力的だ。

セイレーンに誘われるようにふらふらと劇場にさまよいこんで見てみたら、これがまた直球のボーイ・ミーツ・ガールな青春物で好感がもてる作品だった。『ゲド戦記』は吾朗監督と丹羽圭子による共同脚本だったが、本作は前年の『借りぐらしのアリエッティ』に続き、脚本を宮崎駿と丹羽が手掛けたことが功を奏したのかもしれない。


約50年前の日本。今より礼節が重んじられ、学生たちは書物のなかに世界を見出し勉学に励み、工場は汚染物質を煙突から絶え間なく吐き出しては空を汚し、街は今より汚らしく、ごみごみとしていた時代。近過去を舞台にした作品にありがちな、昔は良かったという礼賛的な姿勢は弱めで、おかしな引け目を感じずにすむのは良いのだけど、描かれる物語がど直球の青春物語のため、当時を知っている世代(団塊の世代)にとっては気恥ずかしさの方が勝りそうだし、主人公たちと同年代の今の十代の子供たちが見るには不思議な価値観で行動する時代物のようにしか映らないのではないだろうか。そういう意味で、誰をターゲットとしているのかよく分からないものの、真っ向勝負の清らかなラブストーリーであり、大好物だ。

これまでのジブリ作品のオマージュともいえるシーンが随所に挟み込まれる。しかし、1991年のジブリ作『おもひでぽろぽろ』を連想させるほど、ファンタジー色が排されている。坂道を自転車で一気に下るシーンなどはこれまでならもう少し浮遊感を覚える演出が加えられるかと思うが、そういったものはなく、十代の恋愛をベースに、"もはや戦後ではない"と唱えられはしたものの、戦争がまだまだ地続きだった時代を描き、人間ドラマ中心の作品になっている。アニメにするのではなく、NHK辺りで実写ドラマでも良かったのかなと思ってしまうほどだ。

直前に再放送された『魔女の宅急便』をちょうど見ていたのだけど、精密な描写ができるようになった今のアニメ技術と比較し、あの頃の手描きのセル画感はとてもシンプルで人間味に溢れ、悪くないなと思っていたところだったので、本作の落ち着いた筆致でいかにもアニメっぽい映像は内容とも合っている。

ただ、作画の点で不満もある。人物が背景から浮き上がっていたり、寸法や遠近が狂って見えたりするシーンがどころどころにあり、ジブリらしくない。それと、宮崎駿を追ったドキュメンタリーで、若手アニメーターが上げてきた下絵を見て、実際にはあり得ない行動や事物だったりに彼がぶつぶつ文句をいいながら修正を入れているのを見てからというもの、彼が監督していない作品にはそういう目で見てしまうことが多くなった。本作でいえば、夜の山下公園を歩くふたりのシーンがそのひとつだ。今よりも街の灯りが少なく、ふたりの上には瞬く星まで見える。それほど公園内が暗いということなのに、ふたりの顔はまるでレフ板を当てられているかのようにくっきりと表情が読み取れる。もちろん演出のひとつではあるが、強い違和感を覚える。その場面の最後に見えてくる氷川丸の大きさにも同じように疑問を抱いた。

作画上のことで映画が台無しになるかといえば、当然そんなことはなく、今置かれている環境の中で不満だけを口にするのではなく実際に行動を起こし、立ちはだかる問題への建設的な解決法を求め、その一方で人との繋がりを大事にし、まず身近な人たちから思いやることの大切さが描かれている。そして、父親が同じかもしれないというミステリー要素が導くドラマの結末には思わず涙をもらしてしまいそうになるし、オープニングから小粋にスイングした音楽は最後まで軽快に鳴らされ、とても気持ち良く見終えることができる作品になっている。前作がかなり低評価だったからということは多分にあるが、それでも今回はぶれることなく描きたいことをしっかり描いている映画になっていて、とても良かった。


最後にもう1点不満を加えると、ウィキペディアを読んで初めて分かったことで、"コクリコ"とはフランス語で「ヒナゲシ」を意味し、またヒロインの海が友達から"メル"と呼ばれている理由は、フランス語の海を意味する"La Mer(ラ・メール)"に由来しているからとのこと。説明が欲しかった。
2011.07.31 Sunday 23:58 | 映画 | comments(2) | trackbacks(0)
ファンハウス/惨劇の館 / The Funhouse

57点/100点満点中

トビー・フーパー監督による1981年のホラー映画。

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女子高生のエイミーはボーイフレンドのバズと初めてのデートに行くことになり、友達のリチーとリズのカップルと共に町のカーニバルへ向かった。4人は肝試し代わりに"ファンハウス"と呼ばれるお化け屋敷に忍び込み、一夜を明かすことにしたが、館内でマスクを被った客引きの男が女を惨殺するところを目撃してしまう。
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トビー・フーバー。偉大な監督だ。1974年に発表されたデビュー作『悪魔のいけにえ』は今でもホラー映画史にさんぜんと輝く名作であり、これから先もずっと評価され続ける作品だ。続く2作目の『悪魔の沼』は未見だが、スティーヴン・キングにいわせると、"まったくの期待外れ"らしい。その後キングの小説『呪われた町』を原作にした『死霊伝説』を手掛け、4作目が本作となる。

悪魔のいけにえ』はモデルとなる事件があるとはいえ、恐ろしい映像と血飛沫、滑稽なほどグロテスクな造型美に容赦のないチェーンソーさばきで見る者を魅了する作品だった。ひるがえって本作はといえば、主人公たちと同年代の高校生たちがデートムービーとして利用するにもちょっと難があるほど、面白味に欠ける。
2011.07.30 Saturday 23:58 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0)
鮮血の美学 / The Last House on the Left

57点/100点満点中

1984年に『エルム街の悪夢』を、1996年には『スクリーム』を大ヒットさせたウェス・クレイヴン監督のデビュー作(脚本も担当)。1977年の『サランドラ』よりも前の1972年のホラー映画。製作はこの後に『13日の金曜日』(1980)を監督するショーン・S・カニンガム。製作費9万ドル。

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心なき4人組の犯罪者集団に、娘を殺された父親の復讐劇。
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監督が監督であり、製作も今となってはそれほど霊験あらたかというわけではないにしろ、一時代を築いたカニンガムだ。題名は聞いたことあったが、こういったカルト的作品まではチェックしていなかったので借りてみた。

が、つい最近DVD化されたバージョンをレンタルしたのだけど、なぜか日本語字幕がなく、日本人ふたりによるくだらないだべりとも解説ともつかないコメンタリーが副音声となっているにもかかわらず、吹き替えもない仕様で、仕方ないから英語でそのまま見たわけだが、情けないことにほとんど聞き取れない。でもまあそこはホラーなわけで、台詞なんて必要ないと極言してしまうのはまずいかもしれないが、まあそんなこんなでなんとなく眺めた。

物語の骨子は1960年のスウェーデン映画『処女の泉』を基にしている。ウィキペディアにその作品の詳細があったので読んでみたが、宗教的な要素を抜いたのが本作のようだ。

日本のテレビで放送された時の邦題は『白昼の暴行魔 II/17才・襲われた誕生日』だったらしい。ヒロインが襲われる場面では、殺される前の彼女をいたぶるシーンはいやに生々しいが、その後の陵辱シーンになると、きれいに省略される。殺しの場面も同じで、時代のせいなのか直接的なカットはほとんどない。だからホラー映画というよりもテレビ放映の邦題に漂うような犯罪実録物といった雰囲気がある。

ウィキにはこんな記述もあった。"ホラー映画の歴史において、チェーンソーが武器として使用されたのはこの作品が最初である"。復讐に燃える父親は物置からチェーンソーを取り出し、犯人に迫る。その際に回転するエンジン音に父親が宿敵に向けて話す声の大きさが負けてしまい、聴き取りにくい。そういった辺りにも不思議な生々しさがある。

いくら胸の形が露わになるような服を着たり、たかだかマリファナを買い求めたぐらいで殺されるほどの罰が下るとは今の倫理観と照らし合わせるととうてい思えないのだが、1972年という時代は"悪いこと"だったのだろう。良い子の道を踏み外そうとしている十代へのある種の寓話として働くホラーの一側面は備わっている。ただ、金髪の美少女が無惨にも殺されるのだけど、音楽が軽やかなものが多く流れ、またふたり組の保安官のコント的絡みなどもあり、どうにもいびつな作品という印象だ。
2011.07.29 Friday 23:58 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0)
カタコンベ / Catacombs

43点/100点満点中

「ソウ」シリーズの製作総指揮・製作陣が携わった2007年のホラー映画。

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内気なアメリカ人女性ヴィクトリアは、ソルボンヌ大学に通う姉キャロリンの誘いを受け、パリへ初めての海外旅行に出る。キャロリンは妹を喜ばそうと、700万体もの遺骨がむき出しで眠る巨大な地下墓地"カタコンベ"で行われるイベントに向かう。ひとりで会場から抜け出したヴィクトリアは、いつしか巨大な地下迷路の中で迷ってしまう。
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世界有数の大都市・パリの地下には600万体(映画では700万体)もの遺体が埋まっているそうだ。急速な都市開発による土地の不足で、1785年に政府主導でそれまでの墓地が掘り起こされ、地下に広がる広大な石切場の跡地に埋め直されたのを起源とする。

若者たちは、警察の手が及ばないほど複雑に張り巡らされた坑道を利用して、夜な夜なパーティを開いていた。そこにフランス語も話せないヴィクトリアが迷ってしまうというもの。ニューヨークの下水道には巨大ワニが生息するのと同じように、パリのカタコンベにも当然のように悪の化身ともいえる殺人鬼が居候している。そして世にも楽しい追い駆けっこが始まるというわけだ。

頭蓋骨やその他の骨が整然と並べられた地下とはいえ、地下で育ったがゆえによく分からない言語と様相をしている化け物に追いかけられるという絵面で連想するのは『0:34 レイジ34フン』。化け物に追跡されるだけで、映画1本分は辛いとさすがに判断できたのか、後半は同じように地下坑道をさまようフランス人男性が突如登場し、ふたりでの出口までの探索の旅となる。

ともかく、怖くない。ミュージックビデオ監督上がりなのかなと思わず想像してしまう編集も苛立たしいし、おそらく低予算で仕方ないにしても、オチも投げやりすぎる。


本作を手に取ったのは、新宿TSUTAYAのホラー棚でのPOPのコメントが熱かったからだ。たいていのツタヤはとりあえず商品を置いておけばいいんでしょ的な顔が見えない経営をモットーとするレンタル店だが、新宿のツタヤの、特にホラーコーナーは同チェーン店にしては品揃えが良く、担当者の顔が見える。そこでお薦めされていたので借りたのだが、うん、まあ、騙された。でもああいうポップは大事だと思う。


ヒロインの姉キャロリンを演じているのが歌手のP!NKだというのを見終えてからようやく気づいた。通りで、人物の設定年齢よりも迫力のある顔をする俳優だなと思ったんだよ。
2011.07.29 Friday 23:57 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0)
モンスターズ/地球外生命体 / Monsters

70点/100点満点中

視覚効果(VFX)スタッフとして活躍してきたイギリス人ギャレス・エドワーズが監督・脚本を手掛けたデビュー作。SF映画。製作費50万ドル。2011年公開作品。

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2009年、NASAの探査機が地球外生命体の存在を示すサンプルの採取に成功するも、地球帰還を目前にメキシコ上空で大破。やがて地球外生命体の増殖が始まり、メキシコの北半分が危険地帯として隔離される事態に。その6年後、軍によるモンスター封じ込め作戦が続けられる中、現地を取材中のカメラマン・コールダーに本社から、同地に足止めされている社長の令嬢サムを無事にアメリカまで送り届けろという命令が下される。当初は安全なフェリーを利用するはずが、思わぬトラブルに巻き込まれ、危険な陸路での縦断を余儀なくされるのだった。
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製作費そのものは50万ドル下りたが、撮影機材にわずか1万5千ドル、ロケの移動手段は現地のバスを利用し、さらにはアドリブでの演技ですばやく撮影を行い、また現地の素人をそのままエキストラとして出演させるなど徹底的な経費削減に努め、日本円にして4000万円前後でモンスターパニック物を作り上げてしまった。監督が視覚効果の技術者上がりということで、ほとんどのVFXを自宅の地下室で完成させることができたのが大きいのだろう。本作の成功で、彼はハリウッド版の新作『ゴジラ』の監督に大抜擢されたとのこと。しかし、あのトカゲ映画をまた作ろうとするアメリカもすごい。

低予算映画として同じく話題になったホラー作品『パラノーマル・アクティビティ』は最後の最後でようやく怖さを捻出させるものの、映画の大半の時間はその一瞬のためだけに費やされる長ったらしい序奏でしかない。しかし、本作は最初から惜しげもなく地球外生命体を登場させる。彼らは『宇宙戦争』から拝借してきた古典的なタコ型ではあるのだけど、わずか50万ドルの製作費でここまでの動きができるのかという驚きを胸に抱えながら見ると十分満足できる。

しかし、そうはいってもやはり上映時間の大半は人間ドラマだ。新聞社所属のカメラマン・コールダーとその社主の娘サムの会話とメキシコ縦断の様子が延々と描かれ、若干の退屈を誘うが、その一方で低予算でこれだけのものができるのかと思えば、なるほど立派だとなり、胸の内ではそれ繰り返えされることとなる。キャメロン・ディアスから媚びをなくした印象のサム役ホイットニー・エイブルの魅力も大きい。

粗を隠す配慮だとは思うのだけど、カメラのボケが美しくないのが気になる。

ふたりの旅の終わりに待ち受けていたオチが斬新だ。前半でコールダーが何気なく見ていたネイチャー番組が伏線になるとは思いもしなかった。モンスターパニック物ではあるのだけど、宇宙人物の新しい地平を拓いた作品ともいえそう。
2011.07.27 Wednesday 23:58 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0)
メタルヘッド / Hesher

75点/100点満点中

アメリカの新鋭監督スペンサー・サッサーが製作脚本編集(いづれも共同)も務めた長編デビュー作。製作費700万ドルの低予算映画ながら、主演は『(500)日のサマー』や『インセプション』のジョセフ・ゴードン=レヴィット。また製作にも携わったナタリー・ポートマンも出演している。2011年公開作品。

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自動車事故で母を失い、心に深い傷を負った少年TJ。父親もまた悲しみから立ち直れずにいた。そんなある日、長髪に半裸の粗暴な男ヘッシャーが父と祖母とで暮らす家に住みついてしまう。音楽を大音響で流し、目的もなく破壊行動を繰り返すヘッシャーに振り回されていくTJだったが・・・。
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(500)日のサマー』では柔和な顔立ちそのままにインディーズロック好きの内気な青年を演じ、大作映画『インセプション』では颯爽と細身のスーツを着こなしていたジョセフ・ゴードン=レヴィットが胸まで届く長髪に、白ブリーフでソファにどかりに寝転がりタバコを吹かし、背中には中指を押っ立てた刺青が、胸には自分の頭を撃ち抜く線画が掘られているという破天荒男を演じ、しかもナタリー・ポートマンまで出演しているというのだ。行かないわけがない。

原題はシンプルに彼の役名の"Hesher"であり、米国のロックバンド・メタリカのロゴを取り入れたデザインとなっている。劇中でもメタリカの曲が多く使われているようであるが、邦題の"メタルヘッド"ほどにはメタルメタルした印象はない。ラウドなロックが時折鳴らされる程度。ともかくヘッシャーはメタラーというよりも傍若無人な輩であり、常識の通じない粗暴さでTJを始め、回りの人間を振り回す。

しかし、物語の骨格はとてもありがちな愛する人間の死からどののようにして立ち直るのかというものだ。ヘッシャーはいわば天使の役回りをするのだが、いささか乱暴な荒療治であり、だからこそそこに笑いが生まれ、そしてじんわりとした悲しみもこみ上げてくる。

良い作品だ。世間的な評価は知らないが、私の中では心に残る1本となりそう。いつか片タマの話で大切な人を失った親友を慰めたいものだ。"ファッーークメーン"って。

ナタリー・ポートマン演じるニコールがプールに突き落とされる場面で、それまでかけていた野暮ったい眼鏡を外すと信じられないぐらいに美しい顔が現れるという、まるで漫画みたいなお約束シーンがある。想像を上回る変身加減に驚嘆させられる。
2011.07.27 Wednesday 23:57 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0)
ホステル2 / Hostel Part II

64点/100点満点中

2005年の前作同様、制作総指揮にクエンティン・タランティーノ、監督イーライ・ロスによる2007年のスプラッタホラー。製作費1020万ドル。

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ローマに留学中のアメリカ人女子大生ベス、ホイットニー、ローナの3人は、休暇でプラハに向かった。その車中、天然スパの情報を聞いた彼女たちは急遽行き先をスロバキアに変更。目的地ブラティスラヴァのホステルに到着する。会員制拷問殺人ゲームの餌食としてパスポート写真が世界中の金持ちたちにインターネット配信され、オークションにかけられていることなど、彼女たちは知る由もなかった。
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不思議なことに前作より楽しめる。ホラー映画に限らず、1作目が当たったからと作られる続編はたいてい外れるのだが、本作は2作目の方が"まだ"良い。

1作目で殺人クラブに招かれてしまったのは男だったが、今回はアメリカ女性3人。それと、謎の殺人クラブを運営している側の視点が取り入れられているのが大きな変更点だ。ただ、クラブ運営のエピソードが挟まるものの、基本的には1作目と同じ展開を辿る。それがあまりにそっくりになぞりすぎて、続編というよりもセルフリメイクにも思えてくる。

前作同様にスプラッタを冠するホラーであることがはっきりするのは物語の終盤も終盤、残り15分ぐらいでだ。相変わらずもったい付けているとも映る進行で、次から次へと怖がらせてくれる最近のホラーに慣れている身には古典的恐怖映画に思えるが、それもこのシリーズの味なのだろう。いざ、残虐シーンが始まると容赦ない描写が続く。

リメイクと思えるほど似た展開だとしても、本作の方が良いと思えるのはやはり女性が主人公だからだ。攻守が逆転するラストは痛快。
2011.07.26 Tuesday 23:58 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0)
宮廷画家ゴヤは見た / Goya's Ghosts

76点/100点満点中

『カッコーの巣の上で』(1975)と『アマデウス』(1984)でアカデミー監督賞を受賞したミロス・フォアマン監督による2006年の歴史ドラマ。主演はハビエル・ブルデムとナタリー・ポートマン。

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1792年スペイン・マドリード。スペイン国王カルロス4世の宮廷画家フランシスコ・デ・ゴヤは、ロレンソ神父の肖像画を描いていた。ロレンソは力を失い始めているカソリック教会復活のために、異端審問を強化すべきと主張。ゴヤがモデルにしていた豪商ビルバトゥア家の美しい少女イネスは居酒屋で豚肉を嫌ったことからユダヤ教徒の疑いをかけられ、審問所への出頭を命じられてしまう。当主ビルバトゥアは友人のゴヤを通じてロレンソを家に招待し、懇願するのだが・・・。
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"異端審問"という言葉を聞くと連想するのが魔女狩りなのだけど、ウィキペディアを開くと、中世から始まるそのシステムは大きく分けて、中世初期の異端審問、スペイン異端審問、ローマの異端審問の3つに分類できるそうだ。本作に出てくるスペインの異端審問は、15世紀末にスペインに連合王国が成立した際、キリスト教に改宗したイスラム教徒やユダヤ教徒が多くいたために、王国統治の不安材料と考えた時の王が独自の異端審問期間を設置したことに始まるそうだ。数多くの処刑者を出しながら1834年に廃止されるまで存続された。

本作は画家のフランシス・デ・ゴヤを狂言回しに使った時代物となる。1746年、スペイン北東部で生まれた彼は、1786年に40歳で国王付きの宮廷画家となり、様々な肖像画を描く。しかし、1807年ナポレオン率いるフランス軍がスペインへの侵攻を開始、翌年にはナポレオンの兄ジョゼフがスペイン王位につき、1808年から1814年にかけてスペイン独立戦争が始まる。スペインにとって激動の時代を題材に描き続けた画家なのだ。

時代に翻弄された少女イネスをナタリー・ポートマンが演じる。特殊メイクを用いた演技はさすがアカデミー主演女優賞に輝くだけのことはあると絶賛したくなるほど熱の入りようだ。ポートマンは一人二役をこなすが、その対比もまた良い。さながら北島マヤを地でいく彼女の演技を見ているだけで圧倒され、時間がまたたく間のうちに過ぎていく。

通常邦題は最悪なものが多いが、本作のそれは端的に映画を紹介していて、気取った原題よりも良い。
2011.07.25 Monday 23:58 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0)
ある公爵夫人の生涯 / The Duchess

64点/100点満点中

デヴォンシャー公爵夫人こと、ジョージアナ・キャヴェンディッシュを描いた2008年の歴史物。キーラ・ナイトレイ主演。製作費1350万ユーロ。

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18世紀後半のイギリス。スペンサー家の令嬢ジョージアナは名門貴族デヴォンシャー公爵と結婚。美しく聡明なジョージアナはたちまちロンドンの社交界の中心に。しかし、公爵は男子の後継者を作ることにしか関心がないという現実を突きつけられる。社交界の華として人々の羨望を集めながらも孤独が募るジョージアナは、湯治先のバースでエリザベス・フォスターと出会い、友情を築くのだが・・・。
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四の五のいわずとりあえず気になる俳優のコスチューム・プレイを見てみようシリーズの第5弾は、前回の『プライドと偏見』に続いてキーラ・ナイトレイの主演作。

同時代を生きたマリー・アントワネットと比較されることもあるジョージアナはスペンサー家の出身であり、1997年に亡くなった英国元王太子妃ダイアナの生家にあたる。詳しくは、ジョージアナの弟の第2代スペンサー伯爵ジョージの直系子孫がダイアナだ。しっかりとした個を持った生き方やファッションリーダーとしての活躍、あるいは派手な男性スキャンダルなどが約200年後に活躍したダイアナに似ていることもあり映画化されたのだろう。

ジョージアナは1757年に生まれ、17歳の誕生日を迎える前日の1774年6月6日に、英国でも長い歴史を持ち、今でも連綿と続くキャヴェンディッシュ家の第5代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュと結婚する。9歳年の離れたデヴォンシャー公が彼女に求めるものは忠誠と男子の後継者。女子の誕生が喜ばれない時代に彼女はふたりの女の子を出産し、デヴォンシャー公が期待する男の子を産めずに苦しむ。

プライドと偏見』と同じ18世紀を舞台にする。田舎の中流家庭の次女は自分の恋心に素直に行動したが、本作のナイトレイは家と家の政略結婚に翻弄され、女性の自己表現はファッションの中でしか見出せないという男尊女卑の封建制度が残る時代を懸命に生きようとする。

公爵がしていた政治活動を手伝ったり、後に首相となる青年との関係など興味深い事柄はあるものの、抑圧された女性性が際立ってしまい(時代物を敬遠する理由のひとつ)、物語としては楽しめない。

デヴォンシャー公爵を演じたレイフ・ファインズ(「ハリー・ポッター」シリーズに出てくる鼻のない悪役)が、ジョージアナにつれない態度を取りながらも、憂い帯びた表情を時折見せることで、彼は彼で名家を背負うという重責に押し潰されそうになっていたことを表現していて、作品に幅が生まれている。



<いつものようにみんなの百科事典ウィキペディアで"その後"をお勉強>
ジョージアナは1806年に48歳の若さで亡くなった。映画の中でもシャーロット・ランプリング演じる母親のレディ・スペンサーに釘を刺されていたが、賭け事が好きだった彼女は借金まみれだったという記録があるそうだ。

1783年に生まれた長女ジョージアナとその2年後の1785年に誕生したハリエットはそれぞれ嫁いだが、待望の世継ぎのウィリアム(1790年生まれ・第6代デヴォンシャー公爵)は結婚せずに、子供を成さないまま1858年に死んでいる。

一方、デヴォンシャー公爵夫人との間にイライザ・コートネイ(1792-1834)をもうけたチャールズ・グレイは、後に第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイとなる。ジョージアナより7歳若い彼は1764年に生まれ、22歳(1786年)の時に議員に選出される。ホイッグ党の代表だった1830年の選挙で与党トーリー党を破り、首相の座につく。1832年、第1回選挙法改正を成立させ、その翌年には奴隷法を廃止。1834年までの4年間首相を務めた。彼以後、今も続く"自由党(ホイッグ党の後身)と保守党(トーリー党の後身)の二大政党政治"が始まった。1845年、81歳で没。紅茶好きとしても知られていて、アールグレイは彼にちなんで付けられたといわれている。正妻との間には16人の子供がいたそうだ。

ちなみに、公爵夫人と後の英国首相となったチャールズの子供イライザは、1814年にRobert Elliceと結婚し、2男3女をもうけた。同じ名前を授けた次女のEliza Elliceは、英国下院議長を務めた政治家Henry Brandと結ばれ、5男5女の子供を産む。その長男Henry Robert Brandは、George Cavendish公爵の次女Susan Henrietta Cavendishと結婚。

もうひとつちなみに、スーザンの父ジョージ・キャヴェンディッシュ公爵は名前からも分かる通りに、キャヴェンディッシュの一族であり、本作で登場する第5代デヴォンシャー公爵の弟ジョージ・キャヴェンディッシュ(第4代の三男)の長男で政治家として活躍したウィリアム・キャヴェンディッシュの次男に当たる。つまり、ジョージアナの息子で第6代デヴォンシャー公爵ウィリアムのはとこだ。上述したようにジョージアナの息子は結婚しなかったために、爵位はスーザンの叔父が引き継ぐこととなった。

さて、ヘンリー・ブランドとスーザンは子だくさんで9人も子供を作った。その長女Margaretが1897年にAlgernon Francis Holford Fergusonと結婚する。1899年に生まれた次男Andrew Henry Fergusonの次男となるRonald Fergusonの次女が、ファーギーの愛称で知られるセーラ・ファーガソンその人なのだ。長かった。彼女は女王エリザベス2世の次男ヨーク公爵アンドルー王子の元夫人"ヨーク公爵夫人"。数々のスキャンダルを経て、1996年にアンドルー王子と離婚。昨年も王室に絡むゴシップネタで騒がせていた人だ。

ダイアナといい、セーラといい、英国王室の威厳を台無しにしかけた種子は200年前に蒔かれていたということのようだ。
2011.07.24 Sunday 23:58 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0)
プライドと偏見 / Pride & Prejudice

81点/100点満点中

『エマ』などでも知られる18〜19世紀の女性作家ジェーン・オースティンの小説『高慢と偏見』を、キーラ・ナイトレイを主演に本作が長編デビューとなるジョー・ライトが映画化。2005年のイギリス映画。製作費2800万ドル。

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18世紀末のイギリス。田舎町に暮らすベネット家の5人の子どもはいずれも女性ばかり。母親はなんとか娘たちを資産家と結婚させようと躍起になっていた。そんなある日、近所に独身の大富豪ピングリーが引っ越してくる。にわかに浮き足立つ5人姉妹。舞踏会の夜、次女エリザベスは、ピングリーの親友ダーシーと出会う。しかし、ダーシーの高慢な態度に強い反感を抱く。さらにあらぬ誤解からダーシーへの嫌悪感はますます募っていくのだが・・・。
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『ジェイン・オースティンの読書会』という映画もあったが、『高慢と偏見』は本作含め6回も映画化されているそうだ。夏目漱石が著書の中で、"写実の泰斗なり。平凡にして活躍せる文字を草して技神に入る"と評しているジェーン・オースティンはイギリスの作家で、1817年に41歳で亡くなっている。英国の田舎を舞台に中流家庭の悲喜こもごもを生き生きと描き、"近代イギリス長編小説の頂点とみなされている"そうだ。

本作でも5人の騒がしい娘たちが十代を謳歌している様子がみずみずしく映し出される。特に下のふたりは箸が転んでもおかしい年頃で、とにかくハイテンションだ。でもこの映画を魅力的にしているのはやはり次女のエリザベスを演じるキーラ・ナイトレイのきらめきだ。コスチュームプレイとはいえ、現代人とほとんど変わらない自我を持つ女性であり、だからこそまだ封建的な社会である18世紀末の片田舎で自分の生き方と社会とのあり方に悩み、素直に生きる難しさを知り、そして恋をする。

基本的には少女漫画だ。妹から漫画雑誌「りぼん」を取り上げ読んでいたが、本作の肝は少女漫画のプロットそのままだ。いや、漫画の大元こそがジェーン・オースティンの諸作にあるのかもしれない。ともかく、最初の出会いは最悪で、男女ともに互いを嫌い合う。誤解がその関係をこじらせる。でも、なぜか惹かれ合う(ここ大事)。男の子の方は陰がありながらもよくよく見ると美男子(これも大事)で、女の子の方はどこにでもいる、まさに読者が自分を投影しやすい地味なポジションに甘んじている。しかしそのイヤだった男の子は実は大金持ちの御曹司で、紆余曲折があり、最後には彼から交際を求められるという黄金率ともいうべきベタな展開を辿る。

もちろん、王道になるには万人を惹きつけるだけの魅力があるわけで、本作も見終えたときには幸福感に包まれ、エリザベスの末永い幸せを願わずにはいられなくなる。

ナイトレイが本当にいい演技を見せている。エリザベスが雨宿りをしているところにダーシーがやってくる場面。ふたりは口では文句をいい、いがみ合うのだけど、思いがけないほど顔を近づけたふたりが一瞬ためらうところは悶絶しそうなほど良い演技だ。

理解力のある父親をドナルド・サザーランドが、その妻で苛立つほど役にはまっているブレンダ・ブレッシン、おっかないキャサリン夫人をジュディ・デンチが演じたりと脇もしっかり固めているので安心して見られる。


ゴシップネタとしては、キーラ・ナイトレイは劇中でエリザベスが一時心惹かれる青年士官ウィッカムを演じたルパート・フレンドと本作がきっかけでつきあい始め、2010年末まで交際が続いたそうだ。一方、監督のジョー・ライトは長女ジェーン役のロザムンド・パイクと婚約するも、2008年に結婚式を土壇場でキャンセルし、婚約を破棄。その後シタール奏者の女性(ジョージ・ハリスンのシタールの師匠に当たるラヴィ・シャンカルの娘で、ノラ・ジョーンズとは異母姉妹)と結婚した。

本作が映画デビュー作となった四女キティ役のキャリー・マリガンは、2009年の『17歳の肖像』で英国アカデミー賞主演女優賞を受賞、アカデミー主演女優賞にもノミネートされた。2010年の『わたしを離さないで』では再びキーラ・ナイトレイと共演している。
2011.07.23 Saturday 23:58 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0)
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